【インタビュー】つなぐデザインしずおか プロデューサー・日原佐知夫さんに聞く
もう静岡に行くしかないと思った。
自らもデザイナーでありながら、現在静岡市のものづくりプロジェクト「つなぐデザインしずおか」のプロデューサーである日原さんはいつもそう話してくれます。静岡の家具と、静岡のデザインが盛り上がりを見せていた時代に日原さんは静岡に移り住み、デザインの仕事をスタートさせました。
順調にデザインの仕事を重ねながらも、なんとなく感覚に違和感を覚えていた日原さんに転機が訪れたのは突然でした。
「一緒にミラノに行きませんか」
木工突板メーカー社長からのお誘い。あまりに急ではあったものの、日原さんはすぐに「行きます」と返事をしました。
初めて訪れたミラノサローネ。ミラノサローネの中にある「サテリテ」という若手デザイナーの登竜門的なブースは出展していれば注目され、ともすればコピーされかねない。そのブースで出展者たちはすごく自信を持ってPRしていたりプレゼンしていることに日原さんは感銘を受けました。
「絶対出したい。ここしかない。」
山梨から静岡を見た時の感覚と同じ。意識の高さというか、情熱とか、とにかくすごい。 日原さんは2002年から3年間参加しました。
2002年に出品した際に地下鉄で知り合いから偶然東京で活躍されているプロデューサーを紹介してもらい、その場で「サテリテ」みたいな場所を日本にも作りたいと話したところ「俺もね、そういうの作ろうと思ってるから、君がプロデューサーやれ」と言われたそうです。
そして2004年、東京国際家具見本市内に「デザイナーズギャラリーSOON」が立ち上がりました。
静岡はやっぱりすごい
海外に飛び出したことで、プロデュースという役割を担い出した日原さん。
「何年か、そうやって海外の展示会に出したり、見に行ったりとかしてて、 やっぱり静岡ってすごいなと思って。デザインプロジェクトも始まっていて。静岡、 全然変わってないです。すごいですよ。魅力的で未だにワクワクします。」
静岡市が立ち上げたデザイナーとものづくり企業とのコラボレーション企画、イメージアップ事業・ダイナミクス事業はこの頃すでに始まっていました。海外から静岡に戻り、日原さんはあらためて静岡の魅力にワクワクしてしまいました。
その後このデザイン事業は名前や意義を少しずつ変え、現在は日原さんがそのプロジェクトを引き継ぎ「つなぐデザインしずおか」のプロデューサーに就任しています。
イメージアップ事業・ダイナミクス事業ではデザイナーを招聘してのコラボレーションだったのに対し、つなぐデザインしずおかでははデザイナーを公募するスタイルを取りました。
開発は自分たちのためにある。
公募のスタイルに切り替えたのは、メーカーが自分たちが意見を言えるような場にしたいという気持ちから。毎年たくさんのデザイナーが熱を込め丁寧に応募をしてくれているとのこと。日原さんとメーカーと事務局で真剣に話し合いを重ねてデザイナーを選考しています。
「今まで デザイナーと商品開発してこなかった、いわゆるOEMやパーツしか作ってこなかったメーカーさんとかもいて、 それはとてもワクワクする。最初に出るものがどういうものなのかとかね。それが会社の中で、社長とか開発の人だけじゃなくて、みんなが楽しめちゃう。今年ももちろんあります。大きな責任と緊張感の中で、ね。」
つないでいること、つながっていくこと
年内にはある程度形になってないといけない本プロジェクトは今年で13期目。
全く色褪せない日原さんのワクワクと情熱は、どんな形でこの先へつながっていくのでしょうか。
今からとても楽しみです。