【インタビュー】静岡市役所 頭師雅之さんに、はじまりを聞く
静岡市がデザイナーを起用してプロダクトデザインをするプロジェクトは36年前にスタートしました。現在もその活動は脈々と受け継がれています。
スタート時のプロジェクト名は「産地イメージアップ事業」
平成3年度からは複合的業種による共同開発を通じ新商品・新市場開拓の可能性を探った「産地振興ダイナミクス事業」と名称を変え、10年間に渡り実施していきました。
今回は当時を知る静岡市役所の頭師さんへお話を伺いました。
林さんと宮本さんと私
頭師さんがこのプロジェクトに参加したのは事業が始まって4年目から。
「静岡市に当時、産業工芸センターっていう組織があり私はそこに採用になりました。入ると同時ぐらいにこのプロジェクトは始まっていて、私の一回り以上年上の宮本さんって職員が担当をしていました。
当時、地方の産地では著名デザイナーにデザインを依頼して地場産業界で作り、六本木のアクシスギャラリーで展示発表する産地展という流れがありました。静岡も新しいものづくりのフェーズだったんだと思います。
地方自治体が当時活躍されているデザイナーにデザインをお願いするなんてことはなかなかできません。アクシスギャラリーにその当時名プロデューサーの林さんという方がおられて、その方がデザイナーの紹介などをされていたのですが、宮本さんは面識もなくアポイントもなしでアクシスを訪れたそうです。
あいにく面会は出来ず、企画書だけ置いて来たそうです。
普通ならそこで終わりなのですが。
後日アクシスの林さんからお電話があり「すぐに来るように」と言われたそうです。そこからこのプロジェクトははじまりました。
3年間ほどプロジェクトが進んで、4年目に突然『はい、あなたやって』っていう感じで私が担当になりました。
1番最初、それこそデザイナーの倉俣さんやジョージソーデンに始まって、2年目が挽物で、3年目が木製雑貨と。
私が担当してからは業種を複合化したような感じで4年目を開催、 あとサンダルとか、また家具の鏡台に絞ったり、伝統工芸の駿河竹千筋細工をやったりしました。」
「10年続けなさい」
「1番最初に倉俣さんのところにお願いしに伺った際、宮本さんは『10年続けなさい』と言われたそうです。役所ではなかなか難しい継続でしたが、それでも意地でも最後10年続けました。
最後は縁あって、その倉俣さんの最後のお弟子の1人である五十嵐久枝さんにお願いすることができ、このプロジェクトは一区切りをつけたという感じです。
倉俣さんにこのお話をお願いしたちょうどその頃、静岡市に倉俣さんデザインの<コンブレ>というバーが作られていて、五十嵐さんはコンブレの現場の監督をされていて。
そんな縁もあって。
そこで五十嵐さんにデザインしてもらった家具のTANGOシリーズ(堀住木工所)が大ヒット商品になりました。」
つながっていること
「本当にこのプロジェクトのエピソードは数限りなくあります。当時の私は知らなかったんですけど、私が担当した最初の回で米・英をはじめ世界中に拠点を有するデザイン事務所の<IDEO>にも関わっていただきました。
当時の代表ビル・モグリッジさんとは何回も会いました。
当時はデザイナーが静岡に来られた際、試作指導会というものを開催していました。その時一緒にいらした若い日本人男性がいたんですね。カリフォルニア事務所の日本人スタッフだということでした。ビル・モグリッジさんはその方を『ナオト、ナオト』って言ってたんですね。
その方は非常に頭の切れる人で。
終わってから何年かしてその方は独立されたんですけど、 アクシスビル内に事務所を構えられました。
デザイナーの深澤直人さんだったんです。
デザイナーによって、デザインをものすごくたくさん出してきてくれる方もいれば、1枚2枚しか出してこなくて、それを作ったという例もあります。
デザイナーさんのスタンスはバラバラです。
それも含めて個性だし面白かった。
ジャスパーモリソンさんは2、3点くらいデザインを出してくれ、その中のじゃあこれとこれ作ろうかみたいな感じで作ったんです。
作っている時はなんかものすごいシンプルで『こんなんでええんかな』みたいな気持ちになりながら。
ただ時間が経てば経つほどに『なるほど』と納得できました。
色々なことを今でも鮮明に覚えています。」
つながっていくこと
「10年やって最初はそれで一区切りということでした。ただ、せっかく10年もやってきた商品開発事業をここでやめて終わってしまうのはもったいないと感じていました。当時大型展示施設のツインメッセ静岡が増床し完成する頃で、運営する産業振興協会はいろんな地元の地場産業振興するようなプロジェクトもやらなきゃならないという使命がありましたので、本事業を引き継ぐような形で継続することができました。
現在はつなぐデザイン事業と名前を変え、プロデューサーに日原佐知夫さんを迎えて活動を続けています。
静岡市にはこのような歴史があり、記憶として、資料として残していくことが責務です。
それがこれから先にどう繋がっていくのか、どんな未来が待っているのか。私は楽しみにしています。」
今日は明日のためにある。
明日は未来のためにある。
ただ私たちは先人の開拓してくれた道の上にいる。そのことを忘れてはならない。そんなことを感じながらメモを取るのが楽しくなるインタビューとなりました。
同時に、静岡市のこれからの取り組みにも期待しています。