【インタビュー】 Bar COMBLÉ オーナー 中山昌彦さん
日本でも現存する数少ない倉俣史朗氏設計の空間・Bar COMBLÉは紆余曲折を経て、現在はバーとして営業されています。オーナーの中山さんは、ずっと静岡を守ってきたのかもしれません。
今回はコンブレができた経緯などを伺ってきました。
倉俣さんとムーさん
「小林さん(以降:ムーさん)という方が静岡にいらっしゃって、その方は施工会社をやられていました。倉俣さんとムーさんとの出会いは不明ですが、ムーさんの親戚の施工(サイン)会社と倉俣さんが静岡の三愛の仕事をされたのではないかと思います。その後ムーさんは仕事を受けると空間やるなら倉俣さんのデザインがいいって言って、倉俣さんを紹介していたようです。推測ですが、静岡にそうやっていくつかの仕事があったっていうのが、当時の倉俣さんとしてもいいスタディになったと思います。
倉俣さんのデザインしたものを見ると、静岡でやっていたものがベースになっているなと感じたりします。静岡で実験的にやってたようなものが。静岡での仕事はおそらく倉俣さんにとっては非常に大きい意味があったんだと思うんです。」
ムーさんと私
「私は19歳くらいのときにムーさんと知り合いました。ムーさんが作られたお店でバイトをしていて、ムーさんはビール一杯飲みに来ていたような感じで。知り合ってお話をするようになってかわいがっていただきました。
もちろん当時学生だったので、お金もあまりないだろうというのもあったんでしょうけど、お仕事のアルバイトも紹介してくれて。そんな繋がりでした。
ムーさんも歳を取られてきたということがあるのかもしれないのですが、やっぱりもう一度倉俣さんに空間をデザインしてもらいたいからお店を作ろうってことになったときに、やっぱりバーなんじゃないかと。
ムーさんは倉俣さんのところに行ってデザインをお願いしたそうです。
その時もう倉俣さんは巨匠、ただ二つ返事で『わかったよ』と言ってくれたそうです。
コンブレが作られ、私が関わるきっかけになりました。
やっぱりデザイン中心のお店になるってことで覚悟はしていたんですが、ちょっと特殊なバーになっちゃったなっていう風に出来たときには感じましたけど。今となってはそれがよかった。」
転機
「ムーさんの会社がなくなってしまった影響で、私はコンブレで働いていましたが『コンブレ自体』が差し押さえられてしまい、その後はイタリアンレストランとなりました。
そもそもレストランとして作られていない空間なので、だいぶ内装に手が入りました。
中でもコンブレ奥の一番大きなテーブルがもう使わないと廃棄されそうになり、私はなんとなくですが、倉俣さんがデザインしたものをそんなに簡単に廃棄してはいけないと感じ、いろんな家具屋さんに相談し当時の静岡の家具メーカー、ファニコン・インターナショナルの倉庫に保管していただけることになりました。
イタリアンレストランは結局1年半で閉店しました。私も噂を聞き、どうなったのかと思ってコンブレに見に行きました。昔のバーとしてのコンブレを思えば、本当に酷い状態でした。
レストランを運営していた社長さんに連絡をしたところ『売りに出す』という話が出て、それなら私に言ってくださいと。
私はコンブレを買いました。
中山さんの目標地点
「さて、どうしようと思い、デザイナーの五十嵐さんに連絡しました。
静岡に来る用事があるということだったので、ファニコンの町田さんと五十嵐さんの2人で立ち寄っていただきました。私も1年半でよくこんだけ汚れるなってくらい汚れていました。五十嵐さんが中に入ってきたとき、もうその臭いと汚れでクラクラとされてしまったのを覚えています。
『この状態では何も考えることができないです』と言われたので、まずは中を掃除することから始めました。
当時私は自分の店を持っていたので、そちらを営業しながら掃除をしていたんです。
2〜3ヶ月かかってようやくこれから見ていただけるかなという状態までなんとか戻しました。
あらためて五十嵐さんに相談をしたところ『中山さんどこまで戻したいんですか』と聞かれました。
やはり何とか営業できるレベルでいいですとも思えず、やはりできるだけその竣工時に近づけるという目標を立てました。」
ムーさんの願い
「問題はイタリアン営業の際一部を壊してしまった壁面と、壁面に使用している波型パネルでした。電解染色で色付けしたパネルは、今はもうなかなか作れない。
その時、当時色ムラが出るから余計に作って地下の倉庫にとってあるのを思い出したんです。
ただその予備のパネルでも足りない。
なのでカウンター背面に棚を作ることで竣工時とは違う形ですが、壁を形成することができました。倉俣さんの設計した空間に、五十嵐さんの新しい設計が実は入り混じっています。
そもそも、ムーさんはスコッチバーをやりたかったのでカウンター背面に棚が欲しかったそうです。時を経てムーさんの願いも叶いました。失われた時が逆にそうさせてくれたのかもしれません。」
守るということ
「修繕には89年オープンするときに携わってくれた大工さん、塗装屋さん、金物屋さん、ガラス屋さんなどを五十嵐さんがお声がけしてくれました。一体いくらかかってしまうのか心配だったんですけど、もうほとんど材料代だけで。
五十嵐さんも3回か4回ぐらい来てくださり、工事の間にも来てくださり、実際デザインもしてくれまして。もうその交通費にもならないぐらいで。本当に恐縮しました。
だから私がここでオーナーとして店を守っていこうと思います。」
COMBLÉ(コンブレ)とは
「倉俣さんがつけたんですけども、これってフランス語で「満たす」という意味があるんです。でも、マルセル・プルーストの小説の中に綴りは違うけれど「コンブレ」という町の名前が出てくる。パリとコンブレまでの距離と、東京と静岡の距離が似ているということがあってつけたみたいです。
そのプルーストの『失われた時を求めて』は、倉俣さんお奥様の愛読書だったそうですよ。」
さまざまな人の想いが合わさることで出来た
失われた時を求めて完成した「中山さんのBar COMBLÉ」。
Bar COMBLÉはこれからも静岡の未来を見続けていくことでしょう。
私たちはコンブレに何を見せていけるでしょうか。
Bar COMBLÉ(コンブレ) | 静岡県静岡市葵区呉服町2-7 静専ビル2F |
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