Elements
静岡の要素

きっかけとデザイン

【インタビュー】 デザイナー・五十嵐久枝さんに聞く

今年の11月に駿府の工房 匠宿で開催される「静岡市のデザインプロジェクト展」にも関わりのあるデザイナーの五十嵐久枝さん。
当時の縁やその経緯などを中心にインタビューをしました。

静岡市のイメージアップ事業の前から五十嵐さんは静岡に来られていたそうですね。

「クラマタデザイン事務所在籍中に「コンブレ」を担当していましたので静岡には87年から来ていました。倉俣さんは1960年代からだいぶ静岡の仕事をしていたようで、コンブレのオーナーの小林さん(以降:ムーさん)とはその頃からのつながりで、一緒に静岡のたくさんの空間をつくっています。
実は、その後に東京にできたお店の元となる空間が静岡でつくられていたのだと思います。それができたのは、多分ムーさんと気の合う良い関係があったからでしょうね。
ムーさんと倉俣さん、年齢も近く通じ合っていたようで、倉俣さんがデザインして作りたいものを、ムーさんがクライアントに説得することもあったそうで説得しきれない時は、気に入らなかったら作り直すからと言っていたと聞いたことがあります。そうです。多分2人とも三十代だったのではと思いますけど、勢いがあったのでしょう。
それからしばらく時は経って、ムーさんが(86年〜87年)にサングラスをかけスーツを着て六本木の事務所にいらして、ムーさん自身で倉俣さんのデザインを静岡に残したいと、バーを作りたいと、決めた場所の図面を持って倉俣さんに相談されました。

倉俣さんは当時ものすごく忙しかったと思いますが、とても喜んでいるようでした。何度か打ち合わせにムーさんはいらしたのですが、忙しい倉俣さんはあまりムーさんとは話す時間がもてなくて、心配そうなムーさんに「大丈夫、大丈夫、任せておいて悪いようにはしないから」と言ってました。笑いながら。ムーさんはスコッチバーがやりたいとおっしゃっていましたが、倉俣さんのイメージしている空間にはボトル棚は忘れられているのか、考えないものとされているのか現れてきません。私も図面の表紙に「SCOTCH BAR」と描いたことをすっかり忘れているくらい、ボトルがたくさん並ぶ情景を想像しなかったと思うのですが、倉俣さんにはデザインを受けとめてもらえる通じ合ったクライアントとつくり手との空間づくりだったのだと思いました。費用の調整や関係者へのお願いごとも自分自身でされる特別な仕事だったと思います。

そしてコンブレが完成すると、
ムーさんはボトル棚のない店を見て『弱ったなあ』と仰るのですが、そこまででした。倉俣さんは、「コンブレを東京に持って帰りたい」と呟くように仰いました。

オープンしてから30年以上経ち大変な時期も多々ありましたが、今原型に近い姿で残っていることは奇跡のようです。」

「イメージアップ事業の1回目に倉俣さんは参加されています。私は最後の10回目に参加させていただきました。10回目にはリクエストというか目標がありまして『商品をつくる』というものでした。
それまでやってきた9回9年というのは、静岡がどこまでできるかテクニックを示せた歳月でした。そして10回目は、念願だった静岡市のメーカーが自分たちの商品を見せる回として10年目の一つの区切りにするということでした。

デザイナーは岩倉榮利さんと私、五十嵐ということでしたが、
岩倉榮利さんはキャリアも申し分なく間違いないシリーズが期待されたと思います。もう一方は若手にと、挑戦してほしいという意図があったと思うのですが、コンブレでは静岡の方々にお世話になった縁もあり、独立して数年が経っていてご指名をいただけたのかと、とても幸運に思っていました。」

「私の関わる家具メーカーが5〜6社あり、1社3〜5アイテムありましたので、かなりのアイテム数をデザインしました。
当時流通していた婚礼箪笥が、ウォークインクローゼットや備え付け家具に変わろうとする移行期でアイテム数が多く必要とされた時だったと思います。
私の提案は主に白い壁をバックにポツンと単体で置き、見せて使う収納家具をデザインするイメージを持っていました。

そして当時は、新生活を始める若い方に向けての価格も考慮してのデザイン提案が求められました。価格を抑えるためにどうするかと考えた時に、例えばチェストで引き出しが10杯あったとすると、10杯分の取手をつけたり、10杯分のスライドレールをつけたりします。それをなくしていくだけでも価格が抑えられるのではないかと。そこから取手の代わりを本体のデザインに意匠として組み込んだ形がTANGOとなりました。何かマイナスすることで別のプラスが生まれる。切っ掛けはどこかにある。デザインを考える面白さに気付けた瞬間でした。機能であったり問題解決であったりマイナス面も諸条件も、常にいろんな切っ掛けを含んでいます。

岩倉さんと参加した10回目のイメージアップ事業は1997年、TANGOを含む数々の家具をAXISで発表しました。その時に岩倉さんが、『他の製品はちょっとわからないけど、あのTANGOは、あれは歴史に残るよ。』と仰っていただいたことは大きな励みとなっています。」

その後、当時の静岡の家具メーカー・堀住木工所から発売されたTANGOシリーズは空前のヒット作となりました。

五十嵐さんは現在匠宿の新たな体験デザインを担当されており、匠宿の「デザインプロジェクト展」の中で、サンプルの展示などもあるようです。
静岡市美術館「倉俣史朗と静岡」が開催されるこのタイミングであることにも、何かの新しい「きっかけ」であることを感じずにはいられません。

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